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全盲の元保育士 
小川みきさん

【プロフィール】

 

1978年 大分県生まれ
1360gと未熟児で生まれたことから未熟児網膜症を発症
地域の幼稚園卒園後、大分県立盲学校へ進学
同校高等部卒業後、大阪の視覚支援学校専修部音楽科へ進学
1999年 京都の華頂短期大学幼児教育学科へ入学
幼稚園教諭二種免許と保育士資格を取得し卒業
2001年から社会福祉法人四天王寺夕陽丘保育園に全国初の全盲の
保育士として

13年間勤務
勤務の傍ら、障がい児教育にも関わりたいと佛教大学の通信教育で

特別支援学校教諭免許を取得
また、大阪市で保育士採用試験点字受験の道を拓く
2014年 結婚・出産を機に退職
2018年現在 夫と3歳の娘と共に京都府内に暮らし、専業主婦として育児に専念する
 

趣味はマラソン・温泉めぐり・ピアノ
 

【わかさ生活との出逢い】

 

はじまりはマラソンでした。
以前、わかさ生活が特別協賛していた視覚障がい者京都マラソンにスタッフとして関わっていた社員と、趣味のマラソンを通じて出会った小川みきさん。
その後お二人は結婚され、現在角谷建耀知財団で主催し
ている「京都ふれeyeブラインドマラソン」にも親子で参加されている小川みきさんが、実は全国初の全盲の保育士として、13年もの間たくさんの子どもたちの心身の成長に携わってこられたことに深い感銘を受け、今回お話をお伺いしました。

 

わかさ生活社員絵日記第33話「博士の幸せマラソン」にも登場いただいてます♪
 

【インタビュー】

「前例がないことは諦める理由にはならない」

保育士になりたいと思ったのはどうしてですか?

子どもが大好きだからです。
私は三人兄弟の真ん中に生まれたのですが、八つ下の弟がかわいくて、世話をするのが大好きでした。
そして、私自身の幼稚園時代が楽しい思い出で満たされているということ。
牛乳瓶のふたでお金を作ったお店屋さんごっこ、ブロックで作った大きなキリン、運動会のお遊戯・・。
とにかく幼稚園の記憶が鮮明で、私も幼稚園の先生になりたいと幼い頃から思っていました。

実際に保育士を目指し始めたきっかけはありますか?

大分から大阪に出てきて、全盲でも大学に進学している同世代の仲間と出会い、都会では点字使用者でも大学受験ができることを知りました。それなら自分も目指す方面の受験をしてみよう!と具体的に夢が動き始めました。

全盲で保育士を目指すのは、やはり大変だったのでは・・・?

親や周囲の人からも、視力がなければ保育士になるのは無理だ!とずいぶん反対もされましたし、「前例がないから」と、多くの幼児教育の大学からも点字受験を拒否されました。受かるか落ちるか以前に受験ができない状況で、1校1校訪ねて点字受験がしたいと交渉しました。叶うかどうか、先は全く見えませんでした。
でも、はじめから大変なことだろうとわかったうえで始めたこと。大変ということが前提だったから、厳しい現実に直面してもびっくりはしませんでした。諦めたらここで終わる。いけるところまでいこうと思いました。

短期大学入学後も努力を惜しまず保育士の資格を取得し、夢を実現された小川さんですが、念願の保育士になられてから、大切にされていたことはありますか?

子どもたちと、ひとりの「人」として接するということ。
子どもは「目が見えるか見えないか」ではなく、「仲良くなれる人か、信じられる人か」という感覚で私のことを判断してくれる。それが嬉しくて。子どもの前では、私は私。子どもたちも一人ひとり違う。お互い個性を持った人間同士というところを大切に向き合ってきました。
小さいころの本気で信頼し合える関係は、きっと将来の自信や自立につながっていくと思います。

人間関係の希薄さが様々な問題を引き起こす現代、“信用できる大人”の存在、本当に大切ですね。今はご自身も子育て真っ最中ですが、そんな今、思うこと、そして今後への夢を教えてください。

今は、幼い娘と過ごす一日一日がかけがえのない時間です。
子どもは本当にかわいい。一緒にいるとこちらも励まされます。
保育士としての経験が今、ゆとりのある子育てにつながっています。
すべての経験はつながっていて、無駄にはなっていない。
今後は子育ての経験を活かして、また何らかのかたちで保育の現場に関われたらと思っています。
保育士は私の天職です。

最後に、たくさんの障壁を乗り越え夢を叶え、全国初の全盲の保育士となられた小川さんからのメッセージをお願いします。

全盲の保育士に限らず、まだ誰も試していないだけで、やってみたらできることって実はたくさんあると思うんです。過去に例がないことを、即座に諦める理由にはしてほしくない。
「前例がない」=「無理」ではなく、
「前例のないこと」=「ほんとうに無理かどうかもわからないこと」
だと私は思います。

私自身がそうでしたが、100人中99人から無理だといわれても、ネットで検索してヒットしなくても、実際にやってみたらできることもあるかもしれない!
自分ができる最大限を尽くしてみて、できるか否かの判断はそこから。
今日、明日、明後日・・その積み重ねで未来はできています。
何も行動しなければ未来は動かない。
できることから道を拓いていってください。

〈インタビュアー:わかさ生活 小林由紀より〉

今回、お子様と一緒にオフィスにお越しくださった小川さん。

「以前はもし目が見えたら、流れ星が見てみたいと思っていたけど、今は娘の表情が見たい。しぐさが見たい。泣いているとき、笑っているとき、声を出していないときも、この子はどんな顔をしているんだろう・・・」

そんな小川さんの言葉に切なくなりました。
見える人には目を大切にしてほしい・・・そんなことも感じました。
お子様を慈しまれるやわらかな雰囲気と、前例主義に屈せず夢に向かわれた強さは、一見裏腹のようで、実はどちらも小川さんの人としての耀きの表れなのだと感じ、素敵なお話にたくさんのパワーをいただきました。
ありがとうございました。
次回の「京都ふれeyeブラインドマラソン」でもお会いできるのを楽しみにしています♪

(2018年6月取材)

笑顔で走る親子の写真

(第1回京都ふれeyeブラインドマラソンにて)
「みんなに声をかけてもらえて、娘と一緒に安心して走れたし、娘にも良い経験」と小川さん。頑張って完走したお子様にも拍手!

(保育士時代)

​園児たちと一緒に おいも掘り。みんな真剣!

(保育士時代)

絵本を読む小川さんの声に一心に聴き入る園児たち

200冊以上にも上るという、お手製の透明点字シールを貼った絵本たちは、今も親子で過ごす優しいひとときに大活躍♪
 

​充実した過去を歩んでこられたから、未来を語る笑顔もいきいきと耀いていらっしゃいました。

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